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クメール徹底探究

  • 今から約千二百年前。
  • 東南アジアに興った「クメール王朝」
  • 往時の様子を今に伝える文献は諸外国に残る見聞録に限られており、
  • 今もなお多くの謎が残されたままです。
  • 密林と大地に眠る数々の遺跡を訪ね、わずかに残る歴史の記憶から、
  • クメールを紐解いてみませんか。
  • クメール帝国とは クメール帝国とは
  • クメールみどころマップ
  • クメールを紐解く20の鍵
  • クメールツアー一覧

クメール王朝とは

802年、ジャワから帰還したジャヤヴァルマン2世が、聖なるクーレン山で「転輪聖王」として即位しました。現在のカンボジア・シェムリアップを中心に、タイ、ラオス、ベトナムにかけて強大な勢力を誇った、クメール王朝誕生の瞬間でした。
クメール王朝は、外的には現在のベトナム南部に位置していたチャンパや、タイといった周辺勢力との争いを繰り返しながら徐々にその国土を広げていきます。国内では大規模な治水施設といったインフラの整備が進むことにより社会が安定し、クメール建築に代表される、壮麗なクメール文化が徐々に花開いていきました。「クメールの覇者」ジャヤヴァルマン7世の治世には、ビルマから南シナ海までその版図を拡大、クメール王朝は繁栄を極めます。しかし、その後宗教を巡る内紛と周辺諸国の圧迫により国は徐々に弱体化し、1431年にタイのアユタヤ朝の手に王都・アンコールが陥落し、クメール王朝は600年以上続いた歴史に終止符を打つこととなります。往時の様子を今に伝える文献は諸外国に残る見聞録に限られており、今もなお多くの謎が残されたままです。

クメール王朝とは

802年、ジャワから帰還したジャヤヴァルマン2世が、聖なるクーレン山で「転輪聖王」として即位しました。現在のカンボジア・シェムリアップを中心に、タイ、ラオス、ベトナムにかけて強大な勢力を誇った、クメール王朝誕生の瞬間でした。
クメール王朝は、外的には現在のベトナム南部に位置していたチャンパや、タイといった周辺勢力との争いを繰り返しながら徐々にその国土を広げていきます。国内では大規模な治水施設といったインフラの整備が進むことにより社会が安定し、クメール建築に代表される、壮麗なクメール文化が徐々に花開いていきました。「クメールの覇者」ジャヤヴァルマン7世の治世には、ビルマから南シナ海までその版図を拡大、クメール王朝は繁栄を極めます。しかし、その後宗教を巡る内紛と周辺諸国の圧迫により国は徐々に弱体化し、1431年にタイのアユタヤ朝の手に王都・アンコールが陥落し、クメール王朝は600年以上続いた歴史に終止符を打つこととなります。往時の様子を今に伝える文献は諸外国に残る見聞録に限られており、今もなお多くの謎が残されたままです。

クメール見どころマップと王の道

クメール王朝の歴史を伝える遺跡の数々は、現在のタイ・カンボジア・ラオスの三カ国にまたがり多く残っています。1181年に即位した王・ジャヤヴァルマン7世は、バイヨンを擁する王都アンコール・トムの他、数多くの仏教寺院を造営した事で知られており、アンコール・トムと地方都市を結ぶ街道の整備にも力を注ぎ、医療施設や宿泊所を120ヶ所以上も設置しました。人の移動が増えるに従い国内の商業活動が活発化し、クメール王朝の繁栄は円熟期を迎えることとなります。「王の道」は、アンコール・トムを中心に全方位に放射線状に延びていますが、カンボジアのアンコール・トムからタイのピマーイに向けて直線上に伸びた「王の道」上および周辺には、見所のある遺跡が多く残されています。

ピマーイ
Phimai

別名「タイのアンコール・ワット」として有名なピマーイは、王都アンコール・トムから各地方へ延びていた王道の終着点の一つ。イサーンのクメール遺跡では最大規模を誇るピマーイは、東北タイ出身のジャヤヴァルマン6世の治世に造られた大乗仏教の寺院です。
通常クメールの寺院は日が昇る東を向いていますが、ピマーイはアンコール・トムのある南に向かって造られています。ピマーイとアンコール・トムを結ぶ直線上には、バンテアイ・チュマールやタームアン遺跡群、パノム・ルンが並びます。

プラサート・スィ・コラ・プム
Prasat Sri Khoraphum

タイのスリンとシーサケートの間に位置し、ヒンドゥーの神々が施された、美しいレリーフが残るクメール寺院遺跡です。5つのプラーン(塔堂)があり、一番大きなものは高さ32mあります。

ワット・プー
Wat Phu

ラオス南部、メコン川のほとりに位置する「チャンパサック」と呼ばれる地域は、かつて、現在のベトナムを中心に栄えたチャンパ王国の一部でした。5世紀頃になると、北方クメール人によって作られたクメール王朝の前身である真臘がこの地を支配し、このチャンパサックを中心に栄えました。クメール人はこの王国の下で勢力を拡大し、後のアンコール王朝を建国しました。この地はまさにクメール揺籃の地と言えます。 そんなチャンパサックにあるクメール遺跡が「ワット・プー」です。
ワットは「寺」、プーは「山」を意味し、ここでいう山は聖山「リンガパルヴァータ(現在のプー・カオ=カオ山)」を指します。リンガパルヴァータは、その形がシヴァ神を象徴するリンガに似ていることから聖なる山として人々の信仰を集めています。その麓から中腹にかけて建立されたのがワット・プーです。クメール建築として有名なワット・プーですが、山の中腹に建てられた本堂は、元来5世紀頃、チャンパ王国の時代に建てられました。そのため、チャンパの時代に特徴的なれんが建築がこの本堂でも見られます。 時代は下り11世紀頃、クメール人の支配下でヒンドゥー教の宮殿がここに建設されました。この時からアンコール王朝の代々の王により増改築が繰り返されました。遺跡の前方に作られた2つの宮殿はそれぞれ男の宮殿、女の宮殿と呼ばれ、男女別の居住として構えられました。また階段をあがった所にあるチャンパ王国時代に建てられた本堂にも様々なヒンドゥー教の神の彫刻が施されました。正面の壁には大蛇と闘うクリシュナ神やガルーダに乗ったヴィシュヌ神、女神、内部にはインドラ神の像、その他にも本堂と周辺の岩にヒンドゥーの神々が彫られており、とても見応えがあります。 13世紀頃にはタイから南下してきたラオ族によりこの地が占拠され、神聖視されました。そして仏像が持ち込まれ、上座部仏教の寺院となったのです。このようにワット・プーは長い歴史の中、様々な勢力の下、形を変えながらも信仰の対象として人々の生活に結びついてきたのです。

パノム・ルン
Phanomrung

ピマーイと並びタイで最も有名なクメール遺跡の一つ。パノム・ルンとはクメール語で「大きな丘」を意味します。タイ/カンボジア国境に位置する天空の寺院・プレアヴィヘアと同様、標高383mの山の傾斜を生かして作られた大規模寺院の遺跡です。ゆるやかな傾斜の全長180mの参道を登ると、アンコール・ワットやピマーイに勝るとも劣らない細やかな彫刻が施されたプラーンが現れます。一番の見所は、主祠堂の「龍王アナンタの背で眠るヴィシュヌ」のまぐさ石。60年代に盗掘されたものがアメリカに持ち去られていましたが、国を挙げての返還運動が実り1988年に返却されたという逸話が残ります。

ムアン・タム
Muang Tam

ピマーイ、パノム・ルンに次いでイサーン地方を代表する遺跡。10世紀後半にジャヤヴァルマン5世によって建設されたバプーオン様式の寺院で、池に囲まれた5つのプラーンがあります。また、周辺は整備され公園になっています。

タームアン
Ta Muan

ジャヤヴァルマン7世が整備した、「王道」沿いに設けられた「宿駅」の一つ。カンボジア国境付近にあり、密林のなか静かにたたずみ、雰囲気がある。南端のタームアン・トムはほぼ国境沿いであり、周辺には未だ地雷が埋まっている。

プレアヴィヘア
Preah Vihear

カンボジアとタイの国境を成すダンレック山脈の山頂に位置する寺院遺跡・プレアヴィヘア(タイ名:カオプラヴィハーン)は、その立地から別名「天空の寺院」とも呼ばれています。 プレアヴィヘアとはクメール語で「神聖な寺院」という意味です。この周辺地域は国境未画定地域であり、長くカンボジア/タイ間の緊張状態が続いていました。2008年にカンボジアがプレア・ヴィヘアの世界遺産への登録を申請し、ユネスコがこれを承認した事が両国関係の悪化に拍車をかけたため、周辺の訪問はしばらく困難とされていましたが、タイの政権交代に伴い長く続いていた衝突も現在は小康状態となりました。 加えてカンボジア側の周辺環境が整備された事も手伝って、現在はスムーズに訪問できるようになりました。

コーケー
KohKer

幻の都コーケー。ジャヤヴァルマン4世の手によって、アンコール地方から20年ほどコーケーに王都が移されていましたが、王の死後再びアンコールに王都が戻されたために、放棄され、忘れさられていきました。近年地雷の撤去がすすみ、観光客の訪問も増えていますが、見学できる箇所には未だ制限がある地域です。7層40mの巨大なピラミッド型寺院プラサート・トムの上からはカンボジアの大平原を臨むことができましたが、現在は残念ながら立ち入り禁止になっています。

プノン・クーレン
Phnom Kulen

ジャヤヴァルマンⅡ世が「転輪聖王」の儀式を執り行い、初代アンコール王として即位した聖なるクレーン山は、アンコール王朝発祥の地として知られており、現在も多くの人々の信仰を集めています。川辺・川底には千本リンガ他、神々の彫刻が眠っています。

クバール・スピアン
Kbal Spean

「頭の橋」という意味をもつクバールスピアン。川底や川辺に多くの彫刻が点在しています。聖なるクレーン山に源流を発するシェムリアップ川は、川底のリンガや神聖な彫刻の上を流れることによって聖なる水となり、シェムリアップへと流れて行きます。駐車場から遺跡までは、30分ほど山を登る必要があります。

バンテアイ・スレイ
Banteay Srei

アンコール遺跡の一つで、バラ色砂岩を用いた美しい寺院。アンコール王朝の摂政役のヤジュニャヴァラーハの菩提寺として建設されたといわれる。規模は大きくないが、施されたデヴァダー像の彫刻は本当に美しく「東洋のモナリザ」と讃えられている。

アンコール・ワット
Angkor Wat

クメール王朝が残した最高傑作ともいえる大寺院。1113年に即位した18代スーリヤヴァルマン2世によって建立され、その後1431年頃、アユタヤに敗れ陥落するまで人々の信仰を集め続けました。中央塔は高さ65m、東西1,500m、南北1,300mの壕に囲まれた広大な敷地の中には3重の回廊、5基の高塔祠 堂が立ち並び見る人を圧倒します。5基の塔は世界の中心にあるとされる、乳海撹拌にも出てくるメール山を表し、回廊はヒマラヤの山々を、環濠は大海を象徴しています。西側の正門を入るとシンメトリーに目の前に中央塔をメインとしたクメールの栄華の結晶が広がります。

アンコール・トム
Angkor Thom

アンコールは「大きい」、トムは「都」 という意味。隣国チャンパとの繰り返される争いを制し、アンコール地域を奪還した覇王・ジャヤヴァルマン7世はアンコール・トムの造営に併せ、道路網の整備、寺院の建設を積極的に行いました。王都アンコール・トムは新しい時代の到来を告げる、新たな都であり、クメール王朝の集権的枠組みの中心に位置する、重要な遺跡のうちの一つです。 一辺3km四方の正方形の都城内は、護国寺であるバイヨンを中心に、大小の寺院遺跡が点在しています。

ベンメリア
Beng Mealea

アンコール・ワットから北東へ直線に60km、クメール語で「花束の池」という意味の名を持つベンメリアは、寺院の配置がアンコール・ワットに酷似していることから「東のアンコール・ワット」とも称されます。ベンメリアはジャヤヴァルマン7世の治世に整備した王道上に位置しており、かつては交通の要衝として重要な役割を果たしていました。遺跡内部は鬱蒼と木々が生い茂り、石組みが激しく崩壊したままの姿で残されています。他の遺跡とは一味違う、遺跡発見当時の雰囲気を探検気分で楽しむことができます。

大プリアカーン
Priah Khan

宿敵チャンパとの戦勝記念に建てられたアンコール王朝の都で、「聖なる剣」の意味を持ちます。その敷地はアンコール・ワットの4倍もあり、クメール遺跡最大といわれています。

クメール見どころMAPと王の道

クメール王朝の歴史を伝える遺跡の数々は、現在のタイ・カンボジア・ラオスの三カ国にまたがり多く残っています。1181年に即位した王・ジャヤヴァルマン7世は、バイヨンを擁する王都アンコール・トムの他、数多くの仏教寺院を造営した事で知られており、アンコール・トムと地方都市を結ぶ街道の整備にも力を注ぎ、医療施設や宿泊所を120ヶ所以上も設置しました。人の移動が増えるに従い国内の商業活動が活発化し、クメール王朝の繁栄は円熟期を迎えることとなります。「王の道」は、アンコール・トムを中心に全方位に放射線状に延びていますが、カンボジアのアンコール・トムからタイのピマーイに向けて直線上に伸びた「王の道」上および周辺には、見所のある遺跡が多く残されています。



クメールを紐解く20の鍵


クメールを紐解く20の鍵

高温多湿な気候のため、残された紙の文献はほとんどなく、
遺跡に刻まれた碑文や模様は、クメールの歴史を伝える数少ない手がかりです。
そんな、未だ多くの謎に包まれたクメールを紐解く20の鍵です。

アナンタシャヤナ

太古、世界は混沌の海に覆われ、龍王アナンタの背に横たわるヴィシュヌだけが存在しました。気の遠くなるような時間が流れ、ヴィシュヌのへそから蓮華が生える。そこから創造神ブラフマーが生まれ、天地を創造しました。そのブラフマーの額から、破壊神シヴァが生まれ、やがて世界がシヴァによって破壊された後もヴィシュヌとアナンタだけは生き残り、やがてヴィシュヌは創造の夢をみて、そのへそから蓮華が生えてくる・・・。リグ・ヴェーダの一説はレリーフのモチーフとして好まれ、各所のまぐさ石や破風で、アナンタの背で眠るヴィシュヌの姿と出会う事ができます。

シヴァ神

ヒンドゥー三大神のうち破壊神の地位を占め、ヴィシュヌと並んで熱烈な信者をもつ神です。ヴェーダ時代は暴風神ルドラに対する尊称として使われていました。シヴァは様々な性格をもち、その働きに応じて無数の名称で呼ばれます。よく描かれるのは、槍、弓、斧、三ツ又の戟(トリシュール)をもち、額に半月と第三の眼、青い首に蛇を巻き、虎の皮をまとい、ナンディという白い牛に乗っている形相です。 まず、破壊神としての性質を表す名称としてハラ(万物を破壊するもの)、バイラヴァ(恐ろしい殺戮者)などがよく知られます。又、破壊は再生につながるものとみなされ、生殖、再生をつかさどる神としてはマハーデーヴァ(偉大な神)、パシュパティ(家畜の主)、シャンカラ(恩恵を与えるもの)と呼ばれ、シヴァリンガの形で崇拝されます。その他、聖地カイラース山に住む偉大なヨーギー(ヨガ行者)としてマハータパス(偉大な苦行者)と呼ばれます。ガンガーダル(ガンガーの保持者)ともいわれ、シヴァ・ナタラージャ(踊るシヴァ)として創造、維持、破壊、幻惑、解放の5つの要素をこめてコズミックダンスを踊ります。 シヴァの神妃はパールヴァティーで、二人の間にはガネーシャ、スカンダの二人の息子がいます。

ブラフマー

ヒンドゥー三大神のうち世界の創造と次の破壊の後の再創造を担います。宇宙の根本原理であるブラフマンを人格神として神格化したのがブラフマーです。ブラフマーは一般に4つ顔、そして4本の手には水壺、数珠、笏、ヴェーダ聖典を持ち、ハンサ(白鳥の一種)を乗り物としていおり、神妃はサラスヴァティーです。

破風

破風とは建築用語で合掌造りに板が組まれた部分を指しますが、クメール遺跡においてはまぐさ石上部の三角状にになった部分を示します。まぐさ石よりも面積が広くとられている破風では、神話の一幕や神々の姿などがダイナミックに施されています。まぐさ石と同様に、世界各地の建築では破風への彫刻が散見されます。

碑文

シルクロードのオアシス国家における紙や木簡の様な歴史を伝える文献は、高温多湿な気候下では現代までその姿をとどめる事はありませんでした。アンコール王朝の歴史に迫るためには、残されたレリーフや碑文、諸外国の文献から往時の様子をうかがい知る他、術はありません。しかし、碑文には王の権威を示す言葉や神々への帰依の言葉が躍り、往時の様子を克明に残す記録はほとんどありません。クメール王朝の謎を解き明かすためには、今日も各地で続く遺跡の発掘作業が非常に重要な意味を持つのです。

カーラ

時間を象徴する神で、死者の王であるヤマの別名です。仏教では死者の王の閻魔にあたります。カーラはその口で邪悪なものを食べるとされており、入口のモチーフとしてこのまれ各地のクメール遺跡のまぐさ石にその姿を確認することが出来ます。

ジャヤヴァルマン2世

クメール王朝の創建者と言われ、発展の基礎を築いた王。802年、ジャワから帰還したジャヤヴァルマン2世が、聖なるクーレン山で「転輪聖王」として即位した事が、クメール王朝のはじまりです。

イーシャナー

リグ・ヴェーダに登場する暴風神・ルドラの別名で、東北の方角を守る神がイーシャナーです。タイの東北部・イサーン地方の語源になったとも考えられています。日本へは、仏の守護神である伊舎那天(いしゃなてん)として伝わり、同じく東北地方の守り神として信仰されています。リグ・ヴェーダの段階では、シヴァはルドラの別名に過ぎませんでした。しかし、ほどなくしてその神格はシヴァに吸収され同一化していくことから、イーシャナーはシヴァの前身と考えることができます。

デヴァダー

女神像といった意味合いで使われる事の多いデヴァダーとは、ヒンドゥー教の中で、神々を表す言葉です。遺跡・時代により全く異なる風貌をしています。男女ともに存在し、村々の神、川を渡る神、洞窟の神、山の神等様々な種類の神が存在し、日本の八百万の神に通じるのではないかとも言われており、身近な神様といった表現が近いかもしれません。ヒンドゥー教の中では、特定の10方位(東、西、南、北、北東、北西、南東、南西、天頂、天底) それぞれを護る神が存在します。天頂、天底を除く8方の神々はアスタ・ディクパラ(Asta-Dikpala)と呼ばれ、残る2方の神はダサ・ディクパラ(Dasa-Dikpala)と呼ばれます。彼らの絵をヒンドゥー寺院の壁や天井に表すのはヒンドゥーの伝統です。

東洋のモナリザ

東洋のモナリザと評されるのはバンテアイ・スレイ内祠堂に施されたデヴァダー像です。南北の祠堂に佇む高さ1m程の女神達は優美に微笑みかけています。南北の2つの祠堂、八方の壁にそれぞれ1体計16体の女神はそれぞれ、職人の女神の美へのこだわりがあるかのように、服装、手に持つ蓮、耳飾り等は同じながら、顔の丸みや趣き、微笑みが異なります。1924年この女神の美しさに魅せられたフランスの作家であり探検家のアンドレ・マルローが像を盗みだそうとし捕まった話は有名です(この時盗まれそうになったデヴァダーを東洋のモナリザと称しますが、最近では周りの美しい女神達16体の総称とされています)。

ナーガ

天界と地上を繋ぐ役割を果たす蛇の神・ナーガは、俗世から天界(寺院)を繋ぐという意味合いから寺院の参道やプラーンの飾りとして好んで用いられます。ナーガの王である大蛇・ヴァースキは乳海撹拌の際に重要な役割を果たします。蛇は毎年脱皮を繰り返すことから不老不死の象徴として広く親しまれており、仏教においても仏陀をまもる神と考えられています。座禅を組む仏陀の背後に頭をもたげている姿は仏像などで広く見られるパターンです。

施療院

「病人の家」の意を持つ施療院・アローギャーシャラー(Arogayasala)は診療所と、薬師如来を祀る付設の寺院からなる複合施設です。王都・アンコールトムと各地方都市を結ぶ王道の整備事業の一環として、ジャヤヴァルマン7世の治世に施療院の設置が推し進められました。施療院の設置は熱心な仏教徒であったジャヤヴァルマン7世の慈善事業としての側面と、ジャヤヴァルマン7世の力を民衆に示すための宣伝行為の側面があると考えられており、ジャヤヴァルマン7世の死後、財政の逼迫から緩やかな衰退をたどった王朝の歴史からも、国力を疲弊させるほどの一大事業であった事を推測することが出来ます。

経蔵

経蔵とは経堂とも呼ばれ、仏教寺院において経典や書物を保管する建物を指します。経蔵は、寺院構造に置いては中央祠堂の側にある小さな祠堂ですが、フランスの考古学者のセデスによって「ビブリオテック」(日本語で図書館の意)という言葉があてられ、次第にその名前が建物の機能を表す言葉として広まっていったと考えられています。実際のところ、現在でも経蔵の中には何が納められていたのか、どのような機能を持っていたかに関しての謎は多く、歴史のロマンをかきたてます。

乳海撹拌

寺院の回廊部のレリーフや各所のモチーフに好んで使われる、ヒンドゥー教における天地創造の神話です。太古、神々と悪魔アスラはメール山に集まり、不老不死になるにはどうしたらいいかを話し合っていました。不老不死の霊薬アムリタの存在を知るも、どうしたら手に入れられるかが分からなかったところに現れたヴィシュヌ神は「互いに協力して大海をかき回し撹拌するがよい。そうすればアムリタが出現するだろう」と告げたといいます。それを聞いた神々とアスラは協力し、天空高くそびえるマンダラ山を軸に、それに大蛇ヴァースキを巻き付け撹拌の軸としました。千年にも及んだとされる攪拌作業の結果、ついにそこからヴィシュヌ神の妃ラクシュミー、天女アプサラス、太陽、月、様々な動物が次々に現れ、ついにアムリタの入った白い壺を手にした医の神ダヌヴァンタリが姿を現しました。ここからアムリタをめぐる争奪戦が始まりますが、最終的にヴィシュヌの力に圧倒されたアスラは逃げ去り、アムリタは神々とものとなりました。

ジャヤヴァルマン7世

クメール王朝の第二十代国王・ジャヤヴァルマン7世は、隣国・チャンパからの度重なる攻撃に遭い弱体化していた国を建てなおし、インドシナ半島の大部分まで版図を拡大した「クメールの覇者」として、クメール王朝に空前絶後の繁栄をもたらしました。仏教を篤く信仰したジャヤヴァルマン7世は、バイヨンを擁する王都アンコール・トムの他、数多くの仏教寺院を造営した事で知られています。また、アンコール・トムと地方都市を結ぶ街道の整備にも力を注ぎ、医療施設や宿泊所を120ヶ所以上も設置しました。人の移動が増えるに従い国内の商業活動が活発化し、クメール王朝の繁栄は円熟期を迎えます。しかし、度重なる大規模工事は民衆の離反と国庫の疲弊を招き、繁栄を極めた王朝はゆるやかに衰退の一途をたどることとなります。

ラテライト

ラテライトは鉄分の含有量が多い赤土で、高温多湿な地域に見られます。地中では水分を含んでいるため柔らかさ(多少)がありますが、乾燥すると鉄分の影響で硬度が増します。この性質を利用し、ラテライトの日干しレンガは建築に多用されています。ラテライトブロックは年月とともに降雨、湿気でゆるやかに角が取れていき、隣り合うブロックと融合し、やがて土へと還ります。

宿駅

「灯明の家」の意を持つ宿駅・ダルマサラー(Dharmasala)は王道を往来する人々の宿泊施設として、ジャヤヴァルマン7世の治世に王都・アンコールトムと各地方都市を結ぶ王道の整備事業の一環として、設置が推し進められました。人々の宿泊施設として使われていた建物は木造建築であり、既に土に還りその痕跡は残されておりません。今は寺院としての機能を持っていたラテライト造りの祠堂だけが、ひっそりと残されています。

ヴィシュヌ・ガルーダ

インド神話に描かれている炎の様に光り輝き熱を放つ神鳥。ヴィシュヌの乗り物で半人半鳥の姿をしています。インドネシアでは国章、タイでは王室の紋章にもなっています。

ソーマスートラ

ソーマスートラとは聖水の排水孔を意味します。寺院内にはリンガや神々の像が鎮座し、その像に水を流すことにより御神体を清めますが、同時にそこを流れる水も聖なる水へと変化していきます(リンガや神々の彫刻を川底に配置したプノンクーレンやクバールスピアンは、川の水を全て聖水に変えてしまうという、驚きのシステムを持つ水中遺跡です)。ソーマスートラは、信仰の対象であるシヴァの象徴・リンガを祀るシヴァ派の寺院に多く見られる装置です。

まぐさ石

まぐさ石は入口支柱の間に渡され、建物上部を支えるという機能的な意味合いもさることながら、建物入口の目をひく 「顔」の位置にあたるため、寺院建築な どで、多くの装飾的な彫刻が施される部分です。

添乗員同行 クメールツアー一覧

添乗員同行
クメールツアー一覧

「天空の寺院」プレア・ヴィヘア

「天空の寺院」プレア・ヴィヘアとアンコール遺跡の旅

シェムリアップのリゾートホテルに5連泊。ベンメリア遺跡など密林と大地に眠るアンコール遺跡群をたっぷり見学。「天空の寺院」プレア・ヴィヘア、朝日に輝くアンコール・ワットにもご案内。
日数9日間 
料金358,000円
大クメール3ヶ国周遊

大クメール3ヶ国周遊

ラオス・タイ・カンボジアの「クメールの至宝」インドシナの密林と大地に眠る遺跡群を訪ねて。クメール王朝の歴史を紐解くゆとりある遺跡探訪の旅。シェムリアップに5連泊・こだわりのホテルに滞在。
日数12日間 
料金お問い合わせください
メコンに育まれた豊穣の大地 カンボジア周遊

メコンに育まれた豊穣の大地 カンボジア周遊

ラオス・タイ・カンボジアの「クメールの至宝」インドシナの密林と大地に眠る遺跡群を訪ねて。クメール王朝の歴史を紐解くゆとりある遺跡探訪の旅。シェムリアップに5連泊・こだわりのホテルに滞在。
日数12日間 
料金お問い合わせください
クメール3聖山とアンコールワットを歩く

クメール3聖山ハイキングと「天空の寺院」プレア・ヴィヘア

クメール王朝生誕の地・聖山クーレン山系も歩き、アンコール遺跡群とプレア・ヴィヘア、2つの世界遺産を訪問。シェムリアップをゆったり4連泊で楽しむ。特別拝観許可を取得「東洋のモナリザ」を間近で観賞。
日数7日間 
料金お問い合わせください

個人旅行・フリープラン クメールツアー一覧


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シェムリアップの豪華ホテルに3連泊
じっくり見学アンコール・ワット 5日間

バンテアイスレイも訪問!カンボジアが誇る世界遺産・アンコール遺跡群をじっくり見学。充実の全観光・食事付きの5日間。全行程日本語ガイド同行、専用車でご案内します。
日数5日間 
料金お問い合わせください
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